生活者の言葉で訴えることこそ、生活者ネットワークの役割です

2013年2月1日 10時39分 | カテゴリー: 活動報告

「福は内、プルトニウムは外」詩人で、絵本作家で、翻訳家でもあるアーサービナードさんの講演を聞き、言葉の意味、言葉のもつ力を「もっと意識しなくては!」と思いました。

はじめに、指摘したのは、オリンピック招致ポスターでロンドンオリンピックの写真に「この感動を次はニッポンで!」のキャッチコピーを見て、日本はリオデジャネイロオリンピックに行かないのかと受けとめたことです。

私たちは、二度目のオリンピック招致ということで、次こそはとの思いを読み取り、「次に」という言葉に疑問を持たなかったのでは、ないでしょうか。さらに「ロンドンで学んだ、ニッポンはひとつのチームだ」に、「今まではバラバラだったの?」と。

さて本題の「福は内、プルトニウムは外」は「福は内、鬼は外」という節分の鬼がプルトニウムという単純な話ではありません。

高層階に住んでいるため、外がわからなくなった。玄関を開けて向かいの大家さんの玄関にむかって鬼は外とは言えないし、通路やエレベーターに鬼がいても困るし、窓からでは地上を歩いている人が危険で、豆を投げられない。要するに、核開発で抱えたプルトニウムはどこにも捨てられないということなのです。

また、隣の家の庭では、お父さんが鬼役の豆まきで盛り上がっている。かつて「原子力は福、敵はソ連」と核開発を正当化し、今では敵は中国というアメリカの戦略にあおられているのと構図は同じ。核開発の金づる日本をキープするため、原発事故で芽生えた意識をリセットするために、オリンピックを日本に持ってくるのではないかと危惧しているとのことでした。

広島に落とされた原子爆弾は、ウラン235を使った最初で最後のものだったそうです。「atomic bomb」を原爆というのは、開発者の上から目線の言葉、「ピカドン」という生活者の言葉で表現すべきだと言います。同じように原子爆弾を投下されたと言われている長崎ですが、こちらはプルトニウム爆弾だったそうです。「原子炉はゆっくり進む爆抜き爆弾なので『ジリジリ』と呼んでいる。著作権は主張しないので使ってもいいですよ。」とも。

「戦争をとめるために、やむを得ず投下した」というアメリカの説明に「やむを得ずで2度はおかしい」と疑問を持った話では、本質を見抜き、だまされないようにしないといけないのだと強い思いが伝わってきました。

「脱原発」という相手の言葉を使っていては、原発は止められないと宿題をもらいました。1997年の都議選の時のスローガン「バリアフリーの東京をつくる」が、何のことかわからないと言われたのを思い出しました。今では誰もが知っている言葉です。一歩先を見据えて、何を提案できるのか、大いに議論したいと思います。